ヨガリトリートとは何か?
ヨガリトリートとは、日常の慌ただしさから一歩離れ、心と体を整えるための滞在や体験です。主に宿泊をします。
単なる旅行やリゾート滞在とは異なり、自然に囲まれた空間でヨガや瞑想を行い、自分の内側に意識を向ける時間を持つことが目的です。
リトリート中は、ポーズを取るだけのヨガではなく、呼吸法や瞑想、心理的ワークを通して、自分の感情や思考のパターンに気づくことができます。

日常では見過ごしがちな心の声を聞き、身体と心のバランスを取り戻すのがリトリートの本質です。
こうした体験を通じて、
「自分は何を思っているのか」
「本当に大切にしたいことは何か」
といった気づきが得られます。
ヨガリトリートは、単にリラックスするだけではなく、自己探求の時間でもあるのです。
参考
リトリートヨガ
ヨガリトリートと同じように"リトリートヨガ"と言うキーワードを聞くようになりました。
そういった公式なヨガの種類が存在するわけではありません。リトリートで行うヨガをそう呼んでいると思います。
もしリトリートヨガというものが存在するとしても、ホテルや豪華なレジャー施設で、それをリトリートと呼び、普通のヨガをそこでしていることをリトリートヨガと呼ぶのか呼ばないのか、それはその人の価値観によるといえます。
なぜ今、ヨガリトリートが注目されているのか

現代人は、仕事や家事、育児、そしてSNSなど、常に何かに追われながら生きています。
情報があふれる社会の中で、「心が休まる暇がない」と感じる人は少なくありません。
そんな中で、リトリートは「一度立ち止まり、自分を整える時間」として、多くの人に必要とされるようになっています。
AI時代との関係 自分と向き合い答えを出す必要性

これからの時代、AI(人工知能)はますます人間の生活に入り込んでいくことは誰もが感じているでしょう。
AIは私たちの代わりに考え、提案し、仕事をこなし、あらゆる「答え」を瞬時に出してくれます。
便利で効率的な時代の到来──しかし同時に、多くの人が感じ始めているのは「自分の心の声が聞こえなくなる」感覚です。
AIに人生の最適解を尋ねることはできても、
「私はどう感じているのか」
「本当は何を大切にしたいのか」
という問いに答えられるのは自分自身しかいません。その“内なる声”に耳を澄ます時間こそが、リトリートの意義なのです。
ヨガリトリートでは、情報から距離を置き、自然のリズムの中で体を動かし、呼吸を整え、五感を敏感にし沈黙の中に身を置きます。
そうして初めて、私たちは
“AIでは代わりにならない部分”である心の揺らぎや直感、そして「生きている」という感覚を思い出すことができます。
AI時代だからこそ、ヨガリトリートは「考えること」から「感じること」へと私たちを導く、極めて人間的な時間が求められているのです。
リトリートの本当の魅力とは?

「どこかに泊まりに行く」と聞くと、多くの人は“旅行”や“遊び(レジャー)”を思い浮かべます。
少し贅沢をして、心と体をリフレッシュする、そんなイメージでしょう。
もちろん、それ自体はとても素晴らしいことです。ですが、「リトリート」は違います。
「リトリート」とは日本語で訳せない
リトリートの目的は、
“外の世界を楽しむこと”ではなく
“自分の内側に戻ること”にあります。
ここで過ごす時間は、
単なる癒しではなく、人生の時間をいったん止めて、自分の心と向き合うための時間。
普段、誰にも話せないような本音を安心してシェアできる仲間と出会い、互いの内面に静かに寄り添う時間でもあります。
それは、どんなにリッチでゴージャスな旅行でも決して得られない体験です。
ちなみに欧米では一般の人も「Retreat-リトリート」という単語を知っています。リトリートという言葉は一般的に使われています。
リトリートを直訳する言葉がありません。「合宿」が近いかもしれませんがイメージが合わないですね。つまりは文化がなかったんです。
内面と向き合う時間の価値

「価値観の多様化」この言葉が世の中に広まり始めてから、すでに何十年もの月日が経ちました。
そしてここ10年ほどでSNSが生活の一部となり、さらにこれからはAIが私たちの日常に深く入り込んでいくでしょう。
便利さや快適さは確かに増していきます。けれど、その一方で、
「人は本当に幸せになっているのだろうか」
と感じている人も少なくありません。
心理学の視点から見ると、人の幸せを決めるのは外側の環境(結果)ではなく、
“自分が自分を肯定しているか”です。

どんなにお金持ちになっても、どんなに社会的に成功しても、もし自分が自分を肯定していなければ、人は幸せを実感することができません。
つまり
どんな生き方にも正解や不正解はなく、本当の幸せとは、「自分が自分を肯定しているか否か」にあります。
自分が何を感じ、何を思い、生きていきたいのかを明確にする必要があります。
そしてそのためには、自分の心の奥のコア(核)と向き合うことが必要です。
けれど、忙しい毎日の中では、その時間を持つことがとても難しいのが現実です。
家に一人で過ごして休息を取るのとも違います。
日常の時間をいったん止めて、自分の内側に意識を向ける「リトリート」という時間がこれからの時代、ますます大切になっていくのです。
ヨガリトリートで体験できること

内観を深めるヨガ
ヨガといっても、世間一般に知られているような、フィットネスのようなヨガではありません。
ダイエットやシェイプアップも大切なことかもしれませんが、リトリートではそこに目的を置いていません。
呼吸とともに動き、自分が生きているということを理屈抜きに身体で感じる時間です。(そのヨガを開催できる講師は多くはいません。)
ヨガを通して、「感じる」という感性を少しずつ取り戻していきます。それは、自分が何を感じ、何を思っているのかに気づくための、大切な術です。
参考
→「こころのヨガ」とは? 心が整うヨガとそうでないヨガの違いをヨガ心理学で解説
自己探求をするための瞑想
瞑想というと、無心になることや欲を捨てること、あるいは辛くてもじっと座り続けることを想像する人もいるかもしれません。
ですが、リトリートで行う瞑想は、もっと気楽でシンプルなものです。もちろん経験は問いません。
人間の脳は止めろと言われても止められません。しかも忙しい毎日の中では、絶えず何かを考え続けているため、大切なことに気づけないこともあります。
瞑想は簡単に言えば、目的もなく、ただぼーっとする時間です。
この時間を持つことが、思考だけでは辿り着けない大切なことに出会うためには、必要不可欠なのです。
日常を忘れる自然との対話

リトリートとは、自然の中でやらなければいけないという定義は全くありません。ただほとんどの場合自然の中でおこないます。
自分と向き合うための時間、これにふさわしい場所を想定した時、人は「自然」を選ぶから、リトリート=自然の中と言うイメージが出来上がってるんじゃないでしょうか。
自然との対話と表記しましたが、何も本当に手のひらを大地に当てて、お話をする人ばかりではありません。例えば森の中で、いるだけです。いるだけで何が起こるのか?
何が起こるかなんて特別期待もせずにいるだけです。
心の知識

自分と向き合うためには、何らかの知識が必要です。それが気づきにつながるからです。
何かの哲学を学ぶもよし、心理学を学ぶもよし、仲間同士で心の内をシェアするもよし、学び方はそれぞれですが、
これも人生の時間を止めたとき、また自分の心の奥と向き合った瞬間にこそ学びがすーっと身体に染み込んでいくんです。
本など活字から得られる知識とは比べ物にならないくらい貴重なものです。知識は情報ではなく体験である必要があります。
どんな人に向いているのか?
リッチな旅行に出かけても、どこか虚しさが残る人
忙しい日常に疲れている人
人生単位で、自分と向き合いたい人
浅い癒しではなく、深いところで身体と心を整えたい人
ヨガ経験者・指導者で、新しい気づきを得たい人
日本でのリトリートのイメージ
日本でリトリートというと、多くの人が思い浮かべるのは、観光地や温泉地での滞在型プログラムです。
ホテルや旅館に宿泊しながら、ヨガや瞑想のセッションを体験するスタイルが一般的で、休息や気分転換を目的に参加する人が多くなっています。
旅行自体を否定するわけではありませんが、残念ながら日本のリトリートは、おもてなしを受け羽を伸ばすことや、自分へのご褒美として楽しむ、ゴージャスを目的としていることがあるようです。
参加者の多くが求めるのは「気分転換」であり、心理的な学びや内面の変化を深く扱うプログラムはまだ少ないのが現状です。
現状を理解したうえで、自分に合ったリトリートの選び方を考えることが大切です。
私たちのリトリートが提供するもの

私たちのリトリートでは、単なる休息や癒しだけでなく、心身がほどけ、自己探求や自己変容につながる時間を提供しています。
具体的には、ヨガや瞑想、ワークショップなどのプログラムを通して、身体だけでなく心にも働きかける体験を行います。
ただ身体を動かすだけではなく、呼吸や意識を丁寧に観察し、日常では気づきにくい自分の心や思考に向き合う時間を大切にしています。
また、過去の参加者からは、単発のリラックス体験では味わえない、深い心の変化や新しい気づきが得られたとの声も多く寄せられています。
日々の忙しさの中ではなかなか得られない、自分自身との対話の時間を体験できるのが、私たちのリトリートの大きな特徴です。
Human BeINGのリトリートは、単なるヨガ体験や自然の中での癒しだけではありません。
リトリートを主催するために教育とトレーニングを受けた講師(ヨガファシリテーター)が丁寧に導きます。
そのため、ただ体を動かすだけの時間ではなく、心身がほどけ、自己探求につながる体験を安全に、かつ深く味わうことができます。
なぜ日本では娯楽のようなイメージが広がっているのか?
近年、日本でも「リトリート」という言葉は広く使われるようになりました。
しかし多くの場合、それは“羽を伸ばすための旅行”や“癒しのアクティビティ”として紹介されています。
背景には、日本でヨガリトリート専用の施設がまだ少ないことがあります。
一般の宿泊施設や観光業者が、集客のために「リトリート」と表現することも多く、どうしても旅行・おもてなし・リッチな体験という印象が先行してしまいます。
その結果、表面的な癒しや気分転換としてのイメージが、世間に定着しつつあるのが現状です。
少し残念なこと

この状況は、個人的には少し残念に感じます。
ヨガやリトリートの本来の価値が、形だけで終わってしまっているように見えるからです。
日本人は本来、心の感受性が非常に豊かな民族だと思います。
自然の微細な変化に気づき、空気や光のわずかな変化にさえ感情を見出すことができる。
にもかかわらず、現代の日本ではヨガすら“フィットネス”として捉えられることが増えています。
本来ヨガは、自分の内を観る時間です
心を大切にし、静かに自分と向き合うことで、本来の自分とつながるための実践です。そしてリトリートも、同じく「自分に還る時間」です。
外側の華やかさや表面的な癒しにとらわれず、本来のヨガやリトリートが目指す「内側への旅」を取り戻せること
それが、日本のリトリート文化に必要なことだと思います。
まとめ:リトリートで得られるもの
ヨガリトリートは、単なる旅行や癒しの体験ではありません。日常の喧騒から離れ、自分の心の奥と向き合う時間です。
この時間を通して得られるのは:
- 日常を離れ「自分との再会」
- 心の奥の声を聴き、変化を体感する体験
忙しい毎日では気づけなかった、自分の本音や感覚を取り戻し、内側の自分に出会える。
それが、リトリートの最大の価値です。
心を静かに澄ませ、自分自身と向き合う時間。その一瞬一瞬が、人生を豊かにする大切な体験となります。